注目の”日記”を語る

アクセスカウンタ

zoom RSS ジャーナリズムとしての鈴木宗男論

<<   作成日時 : 2006/02/23 22:01   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 2 / コメント 0

これほど世論の評価が変わった人物は近頃いない。
「ムネオハウス」を筆頭にパッシング一色だった。
私は次の理由から鈴木宗男を支持しなかった。
秘書時代に障害者施設を運営する叔父が彼を知っていたからだ。
施設から子供が居なくなると、世間では脱走といい、危険視される。叔父に言わせると、ただ家出しただけなのに、となる。そこで叔父は世間の無理解が障害者が社会に受け入れられない障害になっているとして、法律の運用方針の変更を鈴木宗男氏を介して当時の代議士中川一郎氏に陳情した。結果、鈴木氏からの答えは「法律にないものは無理だ」とのことだった。それ以来、叔父は鈴木氏の政治家としての能力に疑問をもつようになった。その一年後、大平内閣が誕生し、法律は改正され、叔父の意見が運用方針に追加された。

先の選挙前、あるイベントで鈴木氏と初めて会った。
そのことを確認したかった。
鈴木氏の答えは明瞭であった。
「あれは秘書としての対応ですね。今は違います。その理事長のお宅には伺って話をしました。」
彼の柔軟性に驚くとともに、秘書としての活動と、政治家としての仕事を混同してみていた自分に気がついた。マスコミからはパッシングされたにも関わらず、恨んでいない。むしろ、よく見てみようという世論の動きに有難いと思っているという気持ちに表われている。

私は当時のムネオパッシングに違和感はなかった。その大きな役割を果たしたのがメディアである。ムネオハウスを追求した共産党の佐々木憲昭氏に拍手すら送った。とこらが外務省の恣意によるガセネタで有りもしないムネオハウスに踊らされたものだったことを知る。
今日、「堀江メール」なるものの捏造疑惑で民主党議員が辞職か、というニュースが流れている。ムネハウスで検察まで動かし逮捕されることになった外務省の責任は未だに不問だ。しかも佐々木氏が反省し、ましてや責任をとる行動を取ったという話は聞かない。

その鈴木宗男氏が脅威の復活劇を演じた。
しかも小泉ブーム最中での物言う地域の存在を示してみせた。
ライブドア問題での検察の焦りについて、魚住昭氏はこう分析している。

 検察もまた、組織官僚だから、いかに自らの威信と権力を維持するかに腐心している。その点で、4年前に逮捕した鈴木宗男衆議院議員が復権したことには大きな危機感を抱いたはずだ。検察が標的にした政治家で、彼ほど早くに表舞台に復活した例はない。検察は「検察幻想」を維持する必要に迫られていたのだ。(毎日新聞2/21)

パッシングの渦中で、魚住氏と同じく鈴木宗男に注目した人がいた。
宮崎学氏である。
どちらも現場主義という点では共通しているように思うが、手法が全く異なる。宮崎氏は常に当事者の側に入って観察する。石ころを拾うような小さいことでも顔を出す。
22日に創刊された講談社「Moura」の『直言』に、こんな巻頭言を寄せている。

既成のメディアは「擬制」の推進者であることは論をまたない。その中から「何か」が生まれることなどは最早ない。しかし、この国とこの社会には、必ず「生々しい」現場がある。その「現場」をどう見るのか、そしてその「現場」とどう向き合うのか、それを示しうるのはわが執筆陣以外の日本の表現者にはその能力は全く無いと思う。(「直言」創刊にあたって http://www.moura.jp/scoop-e/chokugen/

正に生々しい現場に見事なまでに入り込む姿をしばしば目撃した。それが時には非難材料になったりする危うさが付いてまわるのだが、本人は一向に羊歯にも掛けない。薄っぺらな正義に真実はないと確信しているからだ。
別の言い方をすれば、高野孟氏編集の「ざ・こもんず」のコラムでこんな表現をしている。

「文化人」的なるものの徹底した否定を貫くこと、これが私のこれからの課題であるということが確認できた今年の正月旅行は、実りの多いものとなった。(「正月旅行・プノンペン報告その3」http://www.the-commons.jp/contents/mt-tb.cgi/282

このごろでは最もテレビの露出が多い政治家が鈴木宗男氏である。
鈴木宗男氏の評価を決定付けた、私が少なからず影響を受けたジャーナリズムとは何だったのか。
世論を誘導した国賊ムネオのイメージに、メディアはその後、どう対応したか。責められるべきは佐々木憲昭氏や外務省だけではない。復活した宗男氏に賞をもって償うという方法だってある。賞ならタダだ。「カムバック賞」というのもあるが、地域政党としての役割を評価して「北海道賞」でもいい。そういうけじめがなされてこないところにマスコミの信頼性を失ってきた要因があると思う。テレビ、雑誌の露出は決してメヂアの”けじめ”ではない。鈴木氏のキャラクターに負うところと、質問趣意書の連発による弱小政党の逆襲と新たな外務省疑惑に原因があるのは残念だ。鈴木宗男の評価の変遷は、ジャーナリズムのいい加減さを証明する格好の材料ともなった。

ししろう

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(2件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
鈴木宗男さん
衆議院議員鈴木宗男さんのことを知ったのは2002年のいわゆる「ムネオ疑惑」によってでした。それ以前の私は、権力中枢に近い有力議員であったはずの鈴木さんのことをまったく知らなかったのです。つまり完全な「政治オンチ」でした。 ...続きを見る
喜八ログ
2006/02/25 16:18
鈴木宗男さん
衆議院議員鈴木宗男さんのことを知ったのは2002年のいわゆる「ムネオ疑惑」によってでした。それ以前の私は、権力中枢に近い有力議員であったはずの鈴木さんのことをまったく知らなかったのです。つまり完全な「政治オンチ」でした。 ...続きを見る
喜八ログ
2006/02/25 16:19

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
ジャーナリズムとしての鈴木宗男論 注目の”日記”を語る/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる